マーケット見通とポイント
9月1日の東京株式市場で東証株価指数(TOPIX)は2,349ポイントと、1990年7月20日以来、約33年ぶりの高値をつけた。バブル経済崩壊後の高値を約1ヵ月ぶりに更新した(日経平均のバブル後の高値は7月3日につけた3万3,753円)。背景にあるのは米VIX指数が8月17日の17.8から9月1日に13.0まで低下するなどグローバル投資家のリスク許容度が回復したことだ。海外投資家の日本株買い再開に期待が高まっている。
投資家が注目したのは米国の長期金利の低下である。米10年国債利回りは8月21日につけた16年ぶりの高い水準である4.35%から8月31日に4.1%に低下し市場に安心感を与えた。金利低下を促したのは米労働省が29日に発表した7月の雇用動態調査(JOLTS)だ。求人件数が予想を大きく下回り、2年4ヵ月ぶりの低水準となった。企業の採用意欲の減退を映し、インフレの根底にある賃上げ圧力を弱めるとの見方が広がった。
9月1日の株式市場で過去10年間の高値を更新した銘柄は138あるが、日立製作所、NEC、三菱重工、凸版印刷、オリックスなど証券コードの末尾が「01」の銘柄が目立った。日本製鉄も14年以来、9年ぶりの高値だ。なかでも日立が1988年以来、35年ぶりに上場来高値を更新したことが注目される。
ベテランの投資家ならご記憶かと思うが、日立はかつて株式市場で「日本経済の縮図」と評価された。同社は幼稚園や病院の経営から建設、化学、機械、重電、家電、半導体、情報ソフト、鉄道、金融など広範な業種の企業群をすべてグループで抱えていた。高度成長期には文字通り日本経済のリーディングカンパニーだった。その後バブルが崩壊した90年代は、バブルの処理に追われ、IT革命に乗り遅れた。21世紀に入ると危機が顕在化し、2001~10年度の累計最終損益は1兆円強の赤字に沈んだ。30万人のグループ従業員の生活が危機に見舞われた。失われた30年を象徴する銘柄が日立だったともいえる。
転機は日本の製造業として過去最大(当時)の最終損失を出した2008年度決算だ。子会社に転出していた川村隆氏が社長に就任し、大胆な経営改革を進めた。日立化成や日立建機など一時22社を数えた上場子会社は株式売却や完全子会社化で今年3月にはゼロになった。反対に利益成長を引っ張るのはスイスのABBから買収したパワーグリッド(送配電網)やイタリア社を傘下に収めた鉄道事業、米グローバルロジックの買収で世界展開に弾みがついたデジタルトランスフォーメーション(DX)事業など海外事業である。こうした経営改革を受け、同社の業績も順調に回復し、今24年3月期予想を含めると直近の4期連続で純利益は5,000億円の大台を突破する見込み。懐疑的だった市場も巨艦の復活を確信したことが株価評価につながった。
株主を意識した経営手法も一味違う。同社は今年、役員報酬制度を改定し、海外の競合を上回る成果が出れば報酬を増やす仕組みを導入した。「株主総利回り(TSR)」をシーメンスや米アクセンチュアなど10社と比較し、結果に応じて報酬が大きく増減する点に新しさがある。同社の意図は社内の意識改革にある。収益構造が内需主導の時代は報酬制度も国内競合との比較だけでよかった。今は日立が世界で勝てるかどうかにある。23年3月期の有価証券報告書では報酬制度変更の狙いについて「成長マインドの醸成」と記載、構造改革から成長モードにシフトするドライバーとして報酬制度を変えたことがうかがえる。
日立の株式時価総額は9.3兆円(9月1日)とエレクとニクス業界では№1のソニーグループ(15.8兆円)、2番手のキーエンス(14.7兆円)の6割前後で、3位の東京エレクトロン(10.1兆円)と並ぶ4位グループにある。時価総額でトップを目指して日立の逆襲が始まったといえるだろう。なお、役員報酬制度において「株価を意識した経営」の一環としてTSRを導入している企業のうち、株価が比較的堅調な銘柄は横河ブリッジHD、武田薬品、商船三井などが挙げられる。
米国は金融引き締め終了へ、中国は不動産問題で経済成長に影。
株式市場では日本企業の改革への評価は続くとみられるが、海外の投資環境は米中で明暗を分ける。米国は雇用の伸び率鈍化と製造業の景況感回復で経済の軟着陸期待が強まっている。9月1日に発表された8月の非農業部門雇用者数は前月比18.7万人増と市場予想を上回ったが、6~7月の結果が下方修正され、3ヵ月平均でみると8月は同15万人増にとどまった。コロナ禍前の19年の月平均(16万人強)を下回り、雇用の拡大は巡航速度に落ち着きつつある。8月の失業率は前月比横ばいの市場予想に反して前月比0.3%ポイント悪化の3.8%と1年半ぶりの高さになった。ただし、労働参加率が62.8%とコロナ禍直前の20年2月以来の高さを記録。失業率の上昇は米経済の急速な悪化というより、職探しをする人が増えた結果で、金融引き締めが終了する良い兆候といえる。一方、同日発表されたISM製造業景況感指数は前月から1.2ポイント上昇し47.6となった。好不況の分かれ目の50を10ヵ月連続で下回ったが、生産指数は前月から1.7ポイント改善し50.0を回復。先行して調整していた製造業が底入れする兆しが出てきたことは市場の安心材料だ。
一方、中国の不動産市場の変調は足もとの最大のリスク材料だ。しかし、日本の1990年代やリーマン破綻後のような金融危機の心配はないだろう。日本の場合、銀行が不動産会社に貸し込み、不動産価格下落に伴いそれが不良債権化し、金融システムが崩壊した。また、リーマン・ショックはサブプライムローンを裏づけとした証券化商品価格の下落が、世界中の金融機関の健全性と流動性を奪った。いずれも資産価格と銀行を中心とした金融システムが強く結びついていたため、経済全体への危機が生じた。中国の場合、マンション完成前に全ての代金を払い込むケースが多く、不動産購入者が不動産会社の資金調達源だ。また信託商品を通じて富裕層から資金を調達している。要は資金調達を銀行システムに頼っているわけではなく、不動産会社が倒産しても、損失負担が家計部門で分散され、金融危機を引き起こす可能性は小さい。
ただ、中国では一つの家計が保有する不動産の数が1戸を超えている。これは居住用だけでなく投資用が含まれているか、夫婦がそれぞれの両親から家を受け継ぐケースもある。しかし、一人っ子なので、一つの夫婦に二つの家は不要だ。そう考えると、これまで中国経済の成長を牽引してきた不動産投資に今後も期待することは難しい。中国共産党指導部は、個別企業は救済しない方針だが、マクロショックは回避する、そして庶民は救済するため、今後も政策は期待できるだろう。ただし、これまで経済のけん引役だった不動産市場の停滞は中国の中長期的経済成長に影を落とす。これが、逆にインドや日本株の買い材料になっている面もある。
(9月20日記)